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西小塙3区 区民ホーム
市営寺前第一住宅と第二住宅の間にある、西小塙3区区民ホーム。岩瀬には公民館の様々な呼び方があるのだが、「区民ホーム」という名前はここだけだ。ただ特殊なのは名前だけで、それ以外は他と変わらない集会所だ。
View Article埋め込まれた二十三夜待供養塔
大月の一本松地区にある二十三夜待供養塔。天明2年 大月村とある。擁壁に埋め込まれており、擁壁整備より石碑の場所を優先していることから、この石碑が大切にされていることが伝わってくる。道標も兼ねているのだが、右には「坂本クワンオン道」とある。おそらくクワンオンは観音のことだろう。なかなか独特な書き方だ。
View Article北1号公園(御領公園)
カスミ駐車場に隣接して設置されている街区公園。無機質なナンバーネームだ。北1号なんて名前で呼ぶ人はまず居ない。ここに書いてある「御領公園」もしくは「カスミの公園」「カス公」と呼ばれることが殆ど。公園自体は岩瀬にある他の街区公園とほぼ変わらない。すべり台とブランコだけの薄味の公園だ。
View Article岩瀬東中学校
岩瀬東部・北部を学区とする岩瀬東中学校。現在3学年6クラス200名弱が学んでいる。岩瀬東中の設置は1970年と新しい。これは3校体制だった町立中学校のうち、羽黒中学校(←東那珂中学校)と少子化の進む桜丘中学校(←北那珂中学校)を統合し、2校体制に再編したためだ。統合直後は校舎が完成しておらず、それぞれ東中学校羽黒教場(→跡地は岩瀬日大に)と桜丘教場(→跡地は南飯田小学校に)という体制だった。1972...
View Article磯部公民館(磯部神社社務所)
磯部地区の公民館は特殊。磯部稲村神社の社務所が磯部地区の公民館を兼ねている。昭和58年に建設されたもので、中は写真右側がお札お守りの授与所・社務所、写真左側が広い畳の間で公民館となっている。神社が中心である磯部地区では、ここが合理的な場所なのだろう。
View Article桜川筑西ライナーの失敗
2019年に開業したら開始当初からガラッガラ。そこにコロナ禍突入が重なり、わずか9か月で全便運休に追い込まれた桜川・筑西ライナー。なぜか4年経った今でも廃止はされず、全便運休が続いている。言ってはなんだが、初めから成功する気はしなかった。最大のしくじりが運行ダイヤ。高速バスのくせに、岩瀬駅~東京駅が3時間以上もかかる。これは水戸線~宇都宮線の普通列車(2時間5分)より遅く、時間的なアドバンテージは皆...
View Article磯部桜川公園内の薬師堂
公園北らへんにあるお堂。市文化財の月光菩薩と薬師如来が祀られている。背後を通る道沿いには石碑が建っている。どうやらここは昭和47年に修復されたもので、中の薬師如来は県の文化財になっているようだ。
View Article御領 天神宮
元岩瀬の御領にある天神さま。こじんまりとした社殿と対照的に、桜は立派なもの。御領天神の山桜として名が残る、地域では著名な桜だ。社殿の奥には「天神宮参百年祭記念碑」と刻まれた石碑がある。参百年が300年だとすれば、この碑が昭和46年(1971年)のものなので、1671年の創建ということになる。
View Article途中 水戸信用金庫 岩瀬寮
御領交差点にある水戸信用金庫の寮。水戸信用金庫は水戸が中心で、岩瀬は営業エリアのほぼ外縁部になる。そんな場所に寮を構えるのは不思議なものだが、とりあえず金をかけてくれてるだけありがたい。
View Articleウエルシア薬局 岩瀬御領店
カスミの隣にあるウエルシア。2008年にグローウェルHDが寺島薬局を子会社化しウエルシア化されたもので、元はDrugてらしま薬局だった。ここのオープンは2006年3月。当時から岩瀬には800mほどの距離に寺島薬局の岩瀬店(→岩瀬富士見台店)があるのだが、そちらを潰すことなく共存を図っている。岩瀬程度の町でドラッグストア4店舗(ウエルシア2、カワチ1、アオキ1)が持つとは到底思えないのだが、なんかよく...
View Article久保田橋
山王病院跡の裏で桜川に架かる久保田橋。久保田は桜川北側の東桜川(旧・青柳地区)の小字である久保田から採っている。幅は非常に狭く、軽トラでも渡るのに気を遣うほどだ。銘板はきれいな状態で残っている。持ち去られて消える銘板が多い中、ヒスイ色の銘板が完全体で残るのは貴重だ。昭和43年(1968年)とある。ここあたりの多くの橋と同じく、桜川の流路整理の一環で架けられた橋なのだろう。
View Article岩瀬A調整池の桜
東桜川、桜川上流側のほうの調整池。下流側(商工会館わき)と区別するため、上流側をA、下流側をBとして区別しているようだ。B調整池のほうと同じく、ここも春には桜でいっぱいになる。桜名所の岩瀬でもここがいちばん桜を感じられる場所かもしれない。
View Article谷中 薬師堂
谷中橋の近くにある薬師堂と石碑群。桜がきれいに咲いている。明治時代のものとされており、その脇には昭和4年の谷中橋の記念碑がある。今の谷中橋は昭和61年のものなので、おそらく先代のものだろう。今はお堂が一つだけだが、2019年8月時点ではお堂がもう一つあった。見た感じ老朽化してそうな感じが見て取れたので解体されたのだろう。
View Article途中 内外食品に架かる橋
岩瀬バイパスの羽黒側の終端部付近から分岐する道。その先には薄暗いボックスカルバートがあり、そこを抜けると少し開けた場所に出る。そこには桜川に架かる橋がある。橋の先は昭和62年創業の食肉加工会社である茨城内外食品があるだけで、一般人はまず渡れない。市の資料を見てもこの橋の情報はなく、内外食品の私有橋と思われる。下流の東裏橋と似た造りなので70年代の橋のはずだ。橋とボックスカルバートの間は内外食品の輸送...
View Article途中 谷中山 谷中城跡・諏訪神社
谷中地区(向谷中)の家並みを歩いていると、馬頭尊とそこから山に登る道が出てくる。この山は谷中山といい、この山の頂上には谷中城があったとされている。入り口には標柱もある。現在でも遺構は残っており地形図にも見て取れる。
View Article公園わきの水場
磯部桜川公園の道向かいに小さな水場がある。見た感じ普通の水道だが、大きめのプレートが2枚もついている。岩瀬町観光協会と岩瀬ライオンズクラブの連名での寄贈で、1979年のもののようだ。花見客が後片付けで使っている姿が容易に想像できる。
View Article途中 谷中堰
谷中橋から見える砂防ダムのような見た目の固定堰。谷中堰といい、昔はここから「上げ堀」という水路が分岐して岩瀬・青柳の田圃に水を引いてきた。日本歴史地名大系には谷中村のページがあり、「天保年間(一八三〇―四四)に造られた谷中堰は岩瀬・青柳・本新田・西新田各村一帯の水田の用水路として使われている」とあり、年号以外は概ね同じようなことを書いている。桜川第4号取水堰...
View Article磯部 櫻橋
桜川に架かる桜橋。この情報だけでは西区の桜橋も被ってしまうが、今回の橋は谷中から磯部に伸びる農道のものだ。農道の割に道幅はそこそこ広く整備されており、軽自動車同士であればすれ違いもできる。また、農道の橋の割に銘板がしっかり残っている。モブ扱いの橋は書類上の名前しか残らないのが普通だが、ここは櫻橋と名前が付き、昭和59年竣工の銘板もある。農道の割には扱いの良い橋だ。
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