山王病院跡の裏で桜川に架かる久保田橋。久保田は桜川北側の東桜川(旧・青柳地区)の小字である久保田から採っている。
幅は非常に狭く、軽トラでも渡るのに気を遣うほどだ。


銘板はきれいな状態で残っている。持ち去られて消える銘板が多い中、ヒスイ色の銘板が完全体で残るのは貴重だ。
昭和43年(1968年)とある。ここあたりの多くの橋と同じく、桜川の流路整理の一環で架けられた橋なのだろう。
山王病院跡の裏で桜川に架かる久保田橋。久保田は桜川北側の東桜川(旧・青柳地区)の小字である久保田から採っている。
幅は非常に狭く、軽トラでも渡るのに気を遣うほどだ。
銘板はきれいな状態で残っている。持ち去られて消える銘板が多い中、ヒスイ色の銘板が完全体で残るのは貴重だ。
昭和43年(1968年)とある。ここあたりの多くの橋と同じく、桜川の流路整理の一環で架けられた橋なのだろう。